(4つ目)
きょうがきのうの続きなら
あしたを楽しくするために
きょうを笑って過ごせば良い
今のあなたに聞こえてる?
未来で待ってる自分の声
ガンバレ ジブン
マケルナ ジブン
エガオダ ジブン
でも時々この声が
重荷に感じる時もある
そんなあなたの疲れた心
小さなエール送りましょ
3つの小噺聞かせましょ
つなげましょ
あなたの未来へ糸電話
年齢詐称でハッピーになろう
こどもの頃のナゾナゾに
石10kgと綿10kg重いのはどっちだ
というものがあったのを覚えている?
当然
石10kgに決まっているよね
てなことはなく
どちらも同じというのが正解だったよね
(ふー 危うく間違えるところだった)
この問題には2つの隠しポイントがあって
一つ目は石と綿という素材感
つまりイメージで混乱させてる
もう一つは
重いのはどっち?という問いかけ
正解はどちらか片方だけだと
回答者は一方的に勘違いしてしまう
なんだかこどもの頃から
特殊詐欺に引っかかっていたような・・
大人になった今でも
10kgの鉄アレイと綿の塊を見せられて
どちらなら運べる?と聞かれたら
綿を選んでしまいそうですが
いずれにしても数字というのは
それ自体に意味を持つわけでなく
単なる値でしかないよね
ところが
この数字が年齢となると
話は違ってくるよね
年齢も単なる数字のように思えるけれど
重さや長さと何が違うのかな
ある物の重さが
10kgであろうと5kgであろうと
その情報はそれ以上でも以下でもないよね
年齢という数字にはそこに
時間という概念が一緒になってついてくる
あらゆる生物は
この世に出てきてお別れの日が来るまで
前進しか許されていない
今にして思えばあそこで躓いたんだよな
そう言って「あそこ」まで戻って
やり直すことなど誰にもできない
だから毎年誕生日が来れば
もれなく1歳加算される
これが成長期であれば
大人に近づく喜びみたいなものがあり
特に兄弟関係では
上の子はさらに威張っていられるし
下の子は少しでも同等の気持ちでいられる
実際大人になってみると
この1歳が重荷になってくる
やれ20代最後だの
もう30代後半などと言って
うなだれてしまう人もいる
自分は明日で65歳ですが
などという人が聞いたら噴飯ものですがね
ほとんどの人は
年齢が積み重なっていくことを
良しとしない
そこには「老い」を想像させ
肌の張りがなくなり
白髪が目立ち
しわも増え
おばさん おぢさん体形
内臓疾患
記憶障害
老眼
などなど
マイナスイメージばかり
抗うことのできない
加齢の恐怖
ここで
一つの提案があります
いっそのこと
自分自身で年齢詐称してみませんか
どういうことか
まず今から目を瞑り
あなたが一番輝いていたころを思い出して
何歳ごろですか?
40歳?32歳?
え、18歳・・ですか
いえ
何の問題もありません。
そして今日から
ずっとその年齢のままでいてください
キラキラ光り輝いていたころ
何もかもが楽しくて
世界のすべてが自分中心だった
誕生日が来ようとも
どこかに足をぶつけやすくなろうとも
あなたは常にその年齢です
するとあなたの脳はこう思います
32歳のはずなのに
(18歳でもイイですが)
こんなにも体の調子が悪いのはおかしい
そしてあちこちの臓器や血管や細胞に
早く治しなさいと命令を下します
あなたは32歳ですから
もう
とんでもない勢いで
正常な体になろうとします
実はこうした精神治療というのは
ヨーロッパで始まり
様々な成功例があります
きょうからあなたは
32歳の健康体です
(18歳でもイイですが)
え、私は何歳かって?
55歳です
だって
今が一番輝いていますから
おそらく来年もその次も
ずっと
輝き続けているはずです
比較は自分の価値を下げる
あなたが目的をもって
語学やプログラミングなど
何か新しいことを始めたとするね
当初はきっと
これまで知らなかった世界に
足を踏み入れた緊張感と
知識を吸収するぞという意欲に
満ち溢れることになる
しばらく続けていくうちに様々を覚え
どこか
晴れがましいような気持になったりして
そしていよいよ目的に達する日が来る
その時
あなたの顔は
自信に裏打ちされた輝きを放ち
態度も意欲的になっていると思う
でも
何事も順調にいくとは限らないよね
むしろそうではないことのほうが
多いのかもしれない
一緒に始めたひとはどんどん進んでいく
それに比べ自分は進み方が遅い
周りはみんなすぐに理解できる
それに比べ自分は覚えが悪い
隣の人はランクが上がった
それに比べ自分は下位のランクのまま
そうしていつの間にか意欲をなくし
挫折して辞めたいってしまう
自分で始めたものだから
自分でやめるのはもちろん自由だよ
でもね
他人との比較で自分が劣っている
これを理由にしたら
あなたの魂が浮かばれやしない
せめて
思っていたより難しくて挫折した
急に忙しくなって続けられなかった
もともと飽きっぽい性格で
今回もまた放り投げてしまった
このほうがまだ
自分を貶めることがない分
ましな理由だよ
まず
何か新しいことを始めたという行動力
これ自体評価に値する
多くの人は頭では考えても
なかなか行動に移せないでいるもの
たとえ途中でやめてしまったとしても
始める前の自分よりは
確実に知識の量は増えているじゃない
たとえ学びに行った学校の
玄関ロビーで引き返したとしても
その学校を見たこともない人よりは
玄関ロビーについての話を30分はできる
人は何か行動すればどんなに小さくても
必ず何かを得ているものだよ
後悔は糧に書き換えられる
あーあ
あの一口さえなかったら
あの一口を我慢できればさ
その後の食べ過ぎは防げていたのかも
ダイエット中の人からは
よくこんな後悔の言葉を聞くことがある
そしてそれを聞かされた人の頭の中には
「後悔先に立たず」という
諺が浮かぶことになる
あの時右を選んでおけば
あの時出ていかなければ
あの時告白していれば
こんな風に考えたことの
一つや二つあなたにもあるよね
え、
しょっちゅう考えています?
それはそれで・・
とにかく
誰にでも後悔することはあるもので
なぜ後悔してしまうのかというと
二度とその場に帰って
やり直すことができないから
でも
過去は変えられる
もちろん昔に戻ることは無理だけど
間違いなく後悔に至った過去の経験も
今の自分を作り上げているはずでしょ
あの時の失敗があったから
同じ場面で回避することができた
あの時踏み出せなかったから
今度は勇気を持てた
過去の経験を後悔だけで考えると
その経験はすべて負のイメージで包まれる
「後悔の経験」を「糧になる経験」に
変えればそれは
とても素晴らしい思い出になってしまう
そして
過去経験した評価は
現在と未来のあなたが下すもの
辛い過去によって得られた忍耐力は
未来のあなたが幸せを掴むために
必要な出来事だったのかもしれない
ただし
ダイエットに関する多くの後悔は
糧になることなど
ほとんどといって良いほど
ありえない
経験者談
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