禁煙したいあなたが戦うのは自分の意志ではなく脳であるという非常識な考え方

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「ただいまぁ」

ちょっと不機嫌な顔をしながら山下さんの奥さまが帰ってきました。

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「あー 岡田さんの家に行くといつもこうだわ」

「今度は岡田さんと何かあったの?」

何かと問題を抱えてくる奥さまに対し山下さんの本音がつい出てしまいます。

「今度はって何よ 何もないわよ 変な言い方やめてよ」

「あ、いや別に深い意味なんかないよ 言葉のアヤってやつだよ。で、どうしたのさ」

「岡田さんと何かあったわけじゃないの ただ、あの人愛煙家でしょ。家の中に入ると服にその匂いが移るのよ」

「たばこかぁ。最近なんだかんだ言われているけど、まだまだ吸っている人もいるんだよな」

「岡田さんもやめたいやめたいって言ってるのになかなかやめられないみたい」

「自分も以前は吸っていたから禁煙当初の辛さはよくわかるけどね」

「禁煙できない人って意志が弱いのかしら・・・」

 

でもね、奥さま。その意志の強さにだけ頼っていると禁煙は成功しないそうですよ。

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強い意志なんかなくてもわたしはやめることができました


 

現在では考えられませんが、以前の日本の社会は煙草に対してとても寛容でした。(世界的に見れば今でも甘いという方もいらっしゃいますが)

アジア初の東京オリンピックが開催された1964年。実に男性の83.7%は喫煙者でした。また、80年代のバブル期と言われたころでも喫煙者の率は60%を超えていました。

 

テレビ画面の向こうでは格好良いあるいは強さの象徴として煙草があって、眉間にしわを寄せた俳優がゆっくりと口から煙を吐き出すシーンが当たり前に映し出されていました。

 

この刷り込みはとても強烈で若いわたしは当然のように喫煙者となり、ピーク時には1日に2~3箱を消費するヘビースモーカーに育っていました。

「煙草くらい吸えないなんて男として・・・」昭和時代の考えです。

 

ところが、時代はどんどん「たばこダメ」という方向に舵を切りだします。以前は「おいしいの?」って聞かれれば「おいしい。特に食後の一服は」と答えていた私も、正直なところ常に咳や痰がありましたし、やめられるものならばとも思うようになっていたのです。

 

 

けれども、「じゃ、やーめた」と思って禁煙を始めますが自然と煙草を購入してしまう。「これで終わりにしよう」と決心しても1日も経たないうちに「ま、いーか」ってことになり、また手を出すの繰り返し。

自分自身がそれほど好感を持っていないのにやめることができない。後にわかったことですが、立派な「依存症」に陥っていました。

 

煙草をうまいと実感しているわけではなく、吸わずにいられなくなっていたのです。

中には本当に煙を楽しむためだけに喫煙している方もいるのでしょうが、やめたいのにやめられないという方が多いのも事実です。

 

多くのやめられないと悩んでいる方と同じ状況だったのに、今のわたしは煙草を吸いたいとは思いません。煙草と縁を切ることに成功したのです。しかも、医師に相談したわけでもなく、専用の薬品を用いたわけでもありません。

 

その方法は「自分自身の意思と戦うのをやめた」というものです。

人間はそれほど意志が強いものではない。ならば初めから自分の意志と戦っても勝てるわけがない。と考え、吸いたいと思う原因は何かを探り、それと対峙することで成功に導こうとしたのです。

 

繰り返しますが、恥ずかしながらわたしには強い意志がありません。禁煙外来を利用するほどの余裕も時間もありませんでした。

本当にたばこを欲しいと思うのはコイツだった


 

人は自分に対してとても甘いものです。もっとも、この甘さは自分自身を許すということにもつながりますので、何か失敗をしたとして始めのうちはそのことに苛まされても立ち直ることもできます。

 

そんな自分自身の意思に頼った禁煙は成功につながりにくいものです。「よし、今日からたばこはやめた!」とか、「二度とたばこには手を出さない!」などと固く決心しても、この決意は自分自身に向けたものですから、たとえ決心が鈍っても誰かから咎められることはありません。自分が許しさえすればいつでも喫煙を再開することは可能です。

 

 

これとは反対に他者に対してはとても厳しい目を向けることができます。例えばテレビの向こうで若いキャスターが原稿読みで噛んだとします。「オイオイそれでもプロかよ」などと声に出したことはありませんか。あるいは何か不祥事を起こした芸能人が数か月で復帰したときに「まったく、この業界は甘いんだよな」などと思ったことはありませんか。

 

あまりスマートな行為ではありませんが、私の禁煙手法はこの「自分に甘く他者に厳しい」感情を利用したものなのです。

 

 

そもそも、タバコを欲しいと思っているのは自分の意志ではありません。むしろ、自分自身はやめたいと考えているのです。

「いやいや、吸いたいと思うのは自分の体なんだから意志の強さじゃないの」そう反論したい方もいるかもしれませんが、その反論は半分が正解です。

 

わたしたちの脳は悲しみや絶望といった感情を和らげるためにドーパミンやアセチルコリンという物質を体内で生成するように指令を発します。

煙草の成分にはこれと似たような物質が含まれていて、喫煙が常習化すると体内での生成をしなくても良いと勝手に判断してしまいます。

 

つまり、緩和成分の生成を指令することを放棄した脳がこれからも楽をするために「たばこを吸え!」と命令するのです。

脳が言葉を使って命令するわけではありませんが、イライラや眠気などの症状によって意思表明をするのです。

 

禁煙は意志との戦いではなく、自分の脳との戦いなのです。

 

脳との戦いってどういうことなのか


 

まずは、脳と意識は別物であると意識することから始めます。

 

ニコチンなどの物質を欲しいと思っているのは脳であり、あなたの意識ではありません。あなたの意識は脳よりも高い次元にいると考えます。

 

「たばこが欲しい」と感じたらぐうたらなオヤジが肩ひじついて横になっている姿を想像してみてください。あなたの脳の姿です。

「あー、今更働けなんて言われてもめんどくせーし」「いつものようにさっさとニコチン入れてくれよ」そんな風に言っている姿を思い浮かべるのです。

 

高い次元にいるあなたは「ぐうたらなオヤジに負けるわけがない」のです。

 

また、禁煙中の脳はあらゆる方法であなたを誘惑します。煙草を吸う夢を見させたり、誰も見ていないから1本くらいならと囁いたり、今までやめられたのだから1本吸ってまたやめれば良いじゃないかなどと考えさせます。

これらもあなたの意識がそう考えているのではなく、すべて脳が罠を仕掛けているのです。

 

あなたは意識は誘惑に負けるわけにはいきません。あなたの脳はあなたにとって他者なのです。ニコチンが入ってこなくて苦しいのはあなたの意識ではありません。

 

 

あなたはこれから脳との会話を繰り返すことになります。

「吸えば楽になるよ ほら、思い出してごらんよあの至福のひと時を」

「いや、楽になりたいのは君の方だろ わたしはこれ以上苦しまないよ」

「たばこくらい大げさに考えるなよ 健康?いつからそんなに軟弱になったんだ?」

「自分は平気だよ たばこ?格好悪いだろ」

 

しかし、この会話も1か月を過ぎるころには消えていきます。

苦しいのは脳のせい。これを繰り返すうちにいつの間にかたばこのことを考えていない自分に気が付きます。

 

3か月を経過したころには喫煙が習慣だったことさえ嘘のように思えます。それでもたまに夢の中でたばこに手を出してはっとすることもありますが、意識が勝っているあなたが負けることはありません。むしろこれまでの日々が自信となり「そんなことあるのかな」程度にしか感じません。

 

如何でしょうか。脳はあなたの体を作っている器官の一部であってあなたの意識とは別物である。禁煙で苦しい思いをしているのはあなた自身ではなく器官のほんの一部である脳なのです。

そしてその脳もしばらくすれば正常な働きを取り戻し、あなたの元に帰ってきます。

 

おわりに


 

喫煙していたころのわたしの頭の中は煙草のことでいっぱいでした。朝起きて煙草が切れていればそれだけで機嫌が悪くなり、残り本数が少なければいつ買いに行こうかと考え、飛行機から降りれば喫煙所を探し、レストランでは料理よりも喫煙の可否のこと。

 

たばこをやめてもお金は貯まりませんでした。それが目的ではありませんでしたし。もともと意志の弱い人間ですからその分何かに使ってしまいます。けれど、頭の中からたばこの存在が消えた状態は本当に快適です。

 

 

わたしは喫煙者に向かってたばこをやめたほうが良いと進言するつもりはありませんし、し好品ですから本人の自由と考えています。

しかし、やめたいという意思があってもやめられない人にアドバイスのつもりでこの文章を書いています。

 

大丈夫。意志なんて弱くてもやめられます。私がそうでした。

 

 

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